岐阜城 06.05.08
晴れてたら朝から行く予定でしたが、
曇ってたんでとりあえず映画見に行って
昼から日が出てきたので強行しました。

日本でも有数の高標高にそびえる山城です。
登山道もいくつか整備されていて、それぞれ
別の遺構も見られますけど、流石に標高329mを
登りきるのは体力に自信がないと無理です。
素直にロープウェイで行きましょう。

しかし昔は重いいくさ装束で登ったわけですよね。
金華山ロープウェイ。
片道600円ですが、往復切符は1050円。
行きはロープウェイで帰りだけ登山道を下る手も
ありますが、雨上がりで蒸し暑いは足場悪いはで
無理はできません。

因みに、歩くと40分から1時間、
ロープウェイだとものの3分です。
ロープウェイから見た三重塔。
大正5年5月、大正天皇御大典記念事業として
建てられたもの。だそうです。
後述しますが、信長の居館跡にほ明治天皇像が
建てられていたり、何やらそれ系の繋がりのある
所なんですね。
対向するロープウェイ。
こういうの乗るの久しぶりです。
ロープウェイ駅からさらに数分階段を登ります。
木々が鬱蒼としていて涼しげな感じですけど
雨上がりのせいか、虫がやたら飛んでいて
鬱陶しかったです。
岐阜城。
模擬天守ですが、初代模擬天守は明治43年建設で
昭和18年に焼失、現在のは昭和31年に再建。

元々は1201年に二階堂行政が砦を作ったのが
始まりだそうで、後年、稲葉山城として
美濃の蝮・斉藤道三が居城としていました。
その後、道三の子・龍興が城主の時に
木下藤吉郎の奇襲により落城。信長の入城を機に
岐阜城と改められました。
1601年、家康の治世に山城の存在価値はなくなり廃城。
この南にあった加納城に移されました。

手前の城壁も模擬でしょうか?狭間(丸や三角の穴)は
ちゃんと開けられており、姫路城っぽいです。
因みに狭間とは銃や矢で迎撃するための穴です。
別アングルから。
犬山城もそうでしたが、ここも大河ドラマに
思いっきり便乗してます。

入場料は大人200円。まあまあ安いです。
これで別館の資料館も入館可能。
信長像。
ここは城内撮影OKです。
忍者武器も色々ありました。
くさり鎌やくさり分銅、手裏剣、まきびしもありました。
本物なのかなあ?
伊賀上野城行ったら忍者関係はもっとありそうです。
天守最上階の展望。眼下に長良川が流れます。
流石に眺めはすごくいいですよ。
犬山や小牧山の数倍高いですからね。
どこからでも見えるJRツインタワーズ。
手前の白いアーチタワーは一宮のツインアーチ138。
一宮で138mなら名古屋テレビ塔は
758mにして欲しかったです。
右が長良川競技場、左が長良川球場。
ドラゴンズの試合もやります。
このエリアは他にも様々なスポーツ施設があります。
馬の背登山道。
「老人・幼児には無理です」
の注意書きが。まあ確かに、年寄りはともかく
幼児はどの登山道も無理だとは思うわけですよ。
かなりの急勾配です。こりゃあ無理だw
ロープウェイ駅そばにはリス村があって
エサとかあげられます。
今は金網で囲ってますけど、確か昔は
放し飼いにしてた記憶があります。
今回は外から見るだけ。

展望レストランもあったんですが、平日の3時頃は
恐ろしく暇そうにしてたので入るのも気兼ねするほど。
麓に戻りしばし散策。
麓は公園として整備されてます。

山内一豊と千代 婚礼の地。
一豊は嫁さんのおかげで出世したし
後世にも名を残したわけですよね。
実際、「信長の野望」では一豊はかなり平凡なスペックで
あまり使い道がありません。

因みに「やまうち」「やまのうち」「かずとよ」「かつとよ」と
呼び方が一定してません。
「烈風伝」だと『やまのうちかつとよ』ですね。
若かりし信長の像。
信長居館跡入り口横にあります。
信長居館門。
城下町は楽市楽座のおかげで非常に活気を帯び、
宣教師フロイスは「バビロンのような賑わいだった」と
記録に残すほど。
しかし現在の岐阜市中心部は不況の嵐が
吹き荒れてます。
柳ヶ瀬にも高島屋はあるんですけど
名古屋の高島屋に電車で20分で行けるので
どんどん空洞化してます。

この奥に、昭和49年に立てた明治天皇像があります。
なぜここにあるかは不明。
板垣退助像。
ここで演説した後に暴漢に襲われ
「板垣死すとも自由は死せず」とのたまったという
逸話を残したんですね。

実際はそんなこと言ってないらしいですけど。
朝から行ってれば、加納城跡にも足を伸ばすつもりでしたが、今回は時間切れ。
また出直します。この辺城跡多いですからね。