名古屋城 2003.12.02

昔から「尾張名古屋は城で持つ」なんてぇ事を申しまして…
名古屋城もだいいいいいいぶ前に行ったっきりだっので久々に見てきました。
それも自転車で(笑)買ったばかりのフォールディングバイクの慣らし運転も
兼ねてたわけで、行ける所まで行ってから地下鉄で輪行するつもりで
途中で輪行バッグ忘れた事に気付きました(´Д`)おかげで運動にはなりましたが。

元々ここの二の丸付近に織田信長が生まれた(と言われている)「那古野城」ってのがあったんですが
廃城になりました。徳川家康の治世、豊臣の大阪城へ睨みをきかすため1612年頃に名古屋城がほぼ完成しました。
明治には軍の兵営も作られていました。地図のアトラスでおなじみの地元企業・アルプス社の創設者は地図が好きで
趣味で作ったのが始まりだそうですが、その時の名古屋城地図にもしっかり兵営地が書き込まれてたのを
こないだテレビで見ました。
一度戦災で焼失(写真禁止のため撮れませんでしたが、中の展示室には業火に沈む
名古屋城の写真が見られます)、戦後、現在の城が復元されました。
戦後も実はモスゴジ、ギャオス、バトラに壊されてます(笑)

大小天守閣。大天守閣には、エレベーターらしき物体が後付けされており、かなり萎えます。

正門。たった今気付きましたが正門にもシャチホコ乗ってるんですね。

正門から城を望む。

これが有名な金のシャチホコ。北がオス。オスの方が若干大きいです。
どっちが北でどっちがオスかは分かりません(´¬`)

ちょっと遅い紅葉ですが、赤や黄色の葉が青い屋根と青空によく映えます。

なんか逆光って好きです(笑)

外堀。っつーか御深井(おふけ)堀っていうらしいです。この季節は渡り鳥が多く、白鳥もいます。

内堀ってことでいいんですかね。空堀です。モスゴジはここに足がはまってなし崩し的に城を破壊していきました。
(テレビ塔も壊す意思はなかったらしく、たまたま塔の足に尻尾が絡んで倒してしまっただけ。
モスゴジは凶悪な面構えとは裏腹に意外にドン臭い。)

ダンゴ三兄弟ヽ( ´ー`)ノ なーんつってな。ちなみに石垣の刻銘を必死に撮影してた外国人の方がいました。

この大きい石が清正石と言われてるそうですが、ようするに、ここの作業は黒田長政の担当だったので
清正が組み入れたって話は嘘っぱちだと、そういうわけです。じゃあ「長政石」ですね。

表ニ之門。これは戦災を免れた当時品です。重文指定。

西南隅櫓。これは大正時代に修復されたもので、
撮り忘れましたが東南隅櫓は江戸時代当時のまま残ってるそうです。

本丸御殿跡。戦災で喪失したままになってます。今募金を募って再建運動が盛んになってます。
元々藩主の住処のために作られましたが手狭だったため、主に来賓用に使ってました。
その後将軍上洛時の宿泊用に改修されたそうです。

剣塀。大天守と小天守を繋ぐ通路で屋根はありませんが、上部に忍返が装備されてます。
大天守へはここを通らないと入れません。

剣塀より大天守を仰ぐ。

天守閣の最上階からの眺め。セントラルタワーズはさしずめ平成の天守閣ですね。

城内は撮影禁止ですが、唯一の撮影許可ポイントがこれ(笑)シャチに乗って記念撮影してくれって事らしいです。
でもどうして撮影禁止なんだろ?

石棺式石室。つーか、どうして島根にあった古墳時代のものがここにあるのか不明…

清正の石曳き。石垣用の巨石の上に乗り号令をかけるわけですが、人足にしたら「ただでさえ重てゃー石
引っ張っとるのに何上に乗っとりゃーすかね。上に乗っとる暇があったらはよ降りて手伝ってちょー」とか
思ってたに違いありません。

名古屋城を出てすぐ南西に名古屋能楽堂があり、その敷地内には清正像がたたずんでます。
清正も名古屋出身だそうです。

【加藤清正 政治70戦闘85采配86智謀65 
兵科特性-足軽C騎馬A鉄砲C水軍D 
特技-農業、建設、登用、騎突】(信長の野望烈風伝)
高スペックを誇るトップクラスの武将で味方にすれば頼もしく敵に回すと厄介この上ない。
「騎突」を有するため騎馬軍を率いると並の武将は瞬殺される危険性が高い。

ちなみに烈風伝はいまだに時々プレイしてます。今のリアルタイムものは性に合いません。


▼▼▼次へ