大垣城 2006.05.21
休日って人が多いので、漫画家の最大の利点を生かして平日に動くのが基本ですが、
こうも天に邪魔されては平日に動くことも出来ません。
仕方なく日曜に行く羽目になりました。快晴で写真撮るには絶好でしたが。
名古屋から大垣まではJRの快速で30分ほど。
わりとどこの城でも駅から真っ直ぐ道なりに行くと
自然と城にぶちあたるものですが、
大垣も南口からアーケードがずーっと続いてて
しばらく商店街を歩いていきます。
そろそろかなーと思ってると、大垣城の碑を見つけて
ふと横をみると、いきなり門があってすぐそこに城が。
商店街の中に城があるみたいでビックリします。

因みに通常、大人100円ですが、
この時は大垣市合併記念でなんとタダ。
1500年頃に竹腰尚綱が、または1535年頃に宮川安定が
建てたと言われてるそうですが、
大垣城がもっとも活躍したのはやはり
1600年の関が原の戦で石田三成が本陣とした頃でしょう。

で、写真にはあえて入れてませんが、木の柵でぐるーっと
この周りを囲んでました。すげー邪魔なんですけど
瓦落下注意みたいな立て札立ってるし。直せよ。
おかげで戌亥櫓も見られなかったし。
とおーーーーくにある山が金華山。つまり岐阜城です。
大垣城は平城なんですけど、城の周りは木が鬱蒼として
更にその周りは建物でいっぱいで、
あまりいい眺望とは言えません。
そのかわり遠くの鈴鹿山脈や養老山脈はよく見えます。
左下の像は、大垣戸田家藩主の祖・戸田氏鉄。
法整備の充実・文化芸能の奨励と共に
度々この地を襲った水害に備えて治水を行うなど
名君だったそうです。

大垣は「水の都」と称されるように、新鮮な井戸水に恵まれ
また、幾多の川が取り囲むように流れているので
水運も発達してたそうですが、このような「輪中(わじゅう)」は
ひとたび川が氾濫すると大水害をもたらします。
実際大垣城の石垣にも水で浸った跡が今でも残ってる
そうなんですが、柵のおかげでそれも確認できず。

それと、像が妙に見切れてますけど、像のある広場は
当時盆栽かなにかのイベントでテントが張られてて
見苦しかったので…邪魔なもんばっか。
鉄門跡。

ここって結構規模が小さくて紹介するものが
あまりありません。
郷土館。
入ろうかと思ったんですけど何やら変な雰囲気だったので
やめちゃいました。
麋城の井戸。郷土館入り口裏にあります。
こんにゃく屋の文七さんが、いい水が欲しいと
竹を地面に打ち込んだら水が湧いたと、
なんだかよく分からない言い伝えが由来だそうで。
実際飲めます。おいしいかどうかはよく分かりません。
名古屋の水って水道水でも結構おいしいですから。

東京の水はまずかったなあw
大手・いこ井の泉。
商店街の中に水汲み放題の井戸があります。
この辺の店の人はだいたいここへ汲みにくるそうです。
それほど大垣は水が売りなのです。
その水を使って作られた水まんじゅうが名物。
至る所で水まんじゅう売ってます。
いこ井の泉のすぐ隣の店先で何となく見てたら
おばちゃんがお一つどうです?と出てきたので
その場の勢いで1個注文しました。1個90円。
小さいお銚子みたいな入れ物に入って
水槽?みたいな所にたくさん沈んでました。

ググったら明治に大垣で発明されたらしいです。
葛の柔らかさともっちりさ・氷水のひんやり感と爽やかさは
初夏の陽気にはとても癒されます。
大手門跡。
いこ井の泉からちょっと奥に入ったところにあります。
大手門とはすなわち城へ通じる玄関で、
かつては大きな門があったと思いますが、
今では店の奥まった所にひっそりと碑があるだけです。
石垣の名残もあるらしいんですが確認できず。
清洲城
大垣から30分ほど、名古屋からは数分で清洲駅に着きます。
駅からは清洲への立て札がいくつかありますが、とりあえず線路に沿って南下します。
しかしこのあたりは、かつての尾張の主府だった面影は何一つありませんね。
家康の命で水害の多い清洲から名古屋に、人も建物も全て引っ越させた清洲越し、
「思いがけない名古屋が出来て、花の清洲は野となろう」と昔の人はうたったそうですが、
本当にその通りになったわけです。

因みに平成の大合併に伴い、清州町は清須市と、昔の表記になりました。
てくてく歩くこと15分、公園らしき場所に出ます。
ここが清洲古城跡。天守台があったところです。
石垣らしきものもありますが、線路や土地開発で
このあたりはズタズタにされていて見る影もないです。
木立にひっそり立つ古城跡碑。
清洲城を見に来ても、ここまで見にくる人は
おそらくいません。
林のような公園を抜けると突然視界が広がります。
そこには川があり、何やら立派な城がど派手な橋と共に
場違いな雰囲気を醸し出しながらそびえ立っています。

清洲城は、室町時代初め、尾張守護代・斯波義重によって
建てられたそうです。
その後、那古野城の信長が叔父の信光と友に
織田信友を倒しここを奪取。
以降、小牧山城に移るまで20年に渡りここを拠点として
今川を討つなど活躍するわけです。
今の模擬天守は平成元年に建設。
しかし建ってる場所も形もデタラメなこの城は
とにかく城マニアの間ではめちゃくちゃ不評です。
信長の城ってんで赤い廻縁や金シャチなど
派手派手な装飾も嫌がられてるんでしょうか。
私も、みんなにボロクソに叩かれてるのを聞いて
期待してなかったですが、見てみるとそんなに悪くも
ないかなーと思いました。
ミーハーにわか城ファンらしい意見ですけどw

本丸は明治に東海道本線で貫通されて、
城は1600年頭に壊され(名古屋城の清洲櫓が
移築したそれと言われてますけど)
史実通りに建てるのは不可能だし、形的には意外に
オーソドックスな望楼型で、石落としまで完備ですから。
かつては小天守もあり、結構派手な装飾だったとする意見も
あるみたいです。
信長の妻・濃姫の像。
美濃の蝮・斉藤道三の娘で、「美濃」から来たから濃姫。
飛騨から来てたら騨姫?

清洲城はやはりというか、赤字らしくて下手すると
いわゆる「箱物」と同じ扱いを受けそうですけど
この日は意外に人が多かった気がするし、
城内では展示物の説明をしてくれるおじさんもいました。
テレビでもやってたの見たことあるですが、
ボランティアの人がアルミ缶で鎧作っちゃってるんですよ。
いくつもあってこれは金箔まで施してます。
これくらいなら軽くて動きやすそうですが、
防御力は推して知るべしですか。
桶狭間の戦いを前に「敦盛」を踊る信長。
「人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり…」
っていう例の超有名なアレです。
天守の頂にあるものと同じ金の鯱。
岐阜城も確か金シャチが出土してるはずで
意外に金シャチは多かったんですかね。
ただ、多くは金箔で、名古屋城みたいに
金無垢は例を見ないと思いますけど。
城からこんな近くに新幹線が見える城も
あまりないと思います。
明治初期に鉄道を通したのが発端ですが、
当時城や城跡は旧体制の遺物でしかなかったでしょうし
民間レベルではともかく
政府はそこに価値を見出さなかったはずです。
名駅方面はどこから見ても分かりやすいです。
ビルが2本しか見えませんけど現時点で4本立ってます。
名古屋城。
あそこまで引っ越したわけですよ。
ものすごい大事業だったはず。
「清洲城、信長、鬼ころし」
清酒・鬼ころしのCMでおなじみの
若かりし頃の信長像。
遠く桶狭間の方向に睨みをきかせています。
五条川を渡ると元・本丸の清洲公園がありますが
その一段高い場所に鎮座します。

ここに模擬天守作ればよかったのに。
なんだかんだで東海の天守のある城はおおかた攻めましたかね。
これ書いてる時点で墨俣も攻めたし。
遺構のない、碑が立ってるだけの所はまだ巡りきれないほどありますけど、
全部網羅するのは多分不可能でしょう。見てもピンとこないしねw