鳥羽市・鳥羽駅周辺 2005.09.13
三重県鳥羽市です。
私は生まれも育ちも名古屋ですが
本籍は鳥羽にあります。
子供の頃は夏休みになると親の在所にいって
40日間ずっといて毎日泳いでたもんですが
中学になってからは全く行かなくなりました。

なので今回は四半世紀ぶりに来たことに
なりますかね。

昔にならって今回も近鉄特急で来ましたが
写真はJRですね。構内は繋がってるので
出口によって変わっちゃうです。
駅のすぐそばに日和山というのがあります。
昔はここの山頂に上って天候を見、船の航行を
判断したという事からこの名がついてます。
たかが標高68mですが、急な山道は
運動不足の漫画家を疲労困ぱいさせるには
十分過ぎます。

そして頂上には方位石(中央)と幸せの鐘(右)
写真にはありませんが、松尾芭蕉の句を
刻んだ碑があります。
方位石。

方位石は各地にありますが、鳥羽の物は
最古であると伝えられます。
この現存してるものは1822年製で二代目。
御影石で出来ています。
八角十二支で構成され、これくらいの大きさの
物は珍しいそうです。

でも多分価値の分からない子供とか
上に乗ったり腰掛けたりしてそうですね。
てっぺん剥げてますからw
頂上からの展望。

鳥羽港を眼下に見下ろし素晴らしい眺望が
…って木が結構邪魔でよく見えません('A`)
遠くはよく見晴らせるんですけどね。
天気と海の状態を見る場所なので
これでいいんかな。
無線電話発祥記念碑。

へえ〜、鳥羽が最初なんですね。
明治36年ドイツ人が無線電話を発明しましたが
明治45年わが国で無線電話送受装置を完成。
大正3年に鳥羽〜答志島〜神島間で
世界初の実用化…
ということです。

今は無き電電公社の説明でした。

ん?実用化が初なの?
発明したわけじゃないのね?
鳥羽主水の砦跡。

取手山にはかつて鳥羽主水さんの館があった
そうですが、ここって日和山じゃなかったっけ?
つーか砦があったから取手山?

戦国時代、水軍で名を馳せ織田に与した
九鬼嘉隆とは義兄弟だそうです。
案内板から少々昇るとちょっとした広場に
でます。ここが砦跡なんでしょうか。
この辺に石垣(おそらく野面積み)の跡が
点在してます。縄張りがあったことは
確かですね。
別のルートから下って麓に下りると
賀多神社という所に出ました。
とりあえず10円でお参り。
724年に出来たというから相当歴史のある
由緒正しい神社なんでしょう。
九鬼嘉隆も幾度となく戦勝祈願したそうです。
さらに案内板に沿って歩き
九鬼嘉隆の菩提を弔ってあるという
常安寺に来ました。

1607年、嘉隆の子・守隆が大福堂を改築し
常安寺としました。

敷地内には明治天皇がここに宿泊されたと
記す碑も立っています。
秀吉に仕えていた嘉隆は関が原合戦では
西軍し属し、子の守隆は東軍に与していました。
戦後、守隆は家康に父の赦免を懇願し
これを聞き入れてもらえたため、父を迎えに
やりましたが一足遅く、嘉隆は自刃した後でした。

戦国時代、特に関が原では親子が敵同士に
なることは珍しくなく、それも家系を存続させる
ためのことだったんですねえ。
鳥羽城址。九鬼嘉隆の居城。
この山の上にあったようです。
現在本丸は小学校、二の丸あたりは公園と
市役所になってます。
常安寺から案内板に従って行ったんですが、
裏手から入ったために迷ってしまって
気が付いたら鳥羽小学校に出てしまいました。
今の時勢、ふらふらと小学校に近づいたら
通報されかねないので、石垣だけ撮って
さっさと引き上げました。

ただ実際昇ってみて小学校が一番高い所に
あるのを実感して、ここに天守があったと
分かります。
小学校の手前で横に入るとやっと城山公園に。

鳥羽城は全国でも珍しい「海城」でした。
四方を海と堀で囲み、玄関である大手門は
海側にあったことを考えても船を大前提にして
作られたことが分かり、いかにも九鬼水軍の
本拠という面持ちです。
今では埋め立てが進み、往時を偲ぶ術は
ありませんが。
広場に遊具が少し置いてあるだけの割と
こじんまりした公園で、その日は芝刈り
してました。
公園から見た鳥羽の海。
右手の橋が伸びた先にある島はミキモト真珠島。
その左を近鉄が走る。
ミキモト真珠島
御木本幸吉という人が世界で初めて
真珠の養殖に成功したそうで、
この島には真珠の博物館やら真珠の店やら
あるみたいです。
大人1500円。
男一人で入るにはいささか敷居が高いです。

鳥羽は他にも真珠の店がそこかしこにあります。
鳥羽水族館沿いの歩道に、
鳥羽城大手水門跡を示す案内板があります。
ようするにこの辺まで埋め立てられたわけです。
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